ひとったび -人と旅と物語-

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クリスマスツリーで ”かくれんぼ” ♪

もうすぐクリスマス☆
街がキラキラと輝くこの時期、なにはともあれ大好きです。

クリスマスツリー キラキラペンULKA

というわけで、自宅でも小さなツリーを飾り付け。
ちょこんと「キラキラペンULKA」を乗せてみました♪
キラキラペンULKAクリスマスカラー
 ↑ この子です。
さぁて、どこにかくれているか、おわかりでしょうか?

《本日の主役》
キラキラペンULKA クリスマス限定(太)赤・緑・シルバー【替え芯1本付き】

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こちらはスタバでひとやすみした時の風景。

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シルバーと合わせたり、

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ゴールドと合わせたりして、キラキラで気分が上がっています⤴

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「キラキラペンULKA 」については、ぜひこちらもお読みください。
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バングラディシュで“アーティスト”の女性達が作るキラキラペンULKA)

そばに置いておくだけで幸せ気分になれるキラキラペンULKA。ULKAとはベンガル語で「流れ星」という意味です。キラキラ光る綺麗な石はバングラディシュの伝統衣装サリーに使われているラインストーンです。

キラキラペンULKAを作っている工房はバングラディシュの北部のハルガアットという村にあります。この工房を仕切っているのは、日本人の渡辺麻恵さん。渡辺さんとスタッフの方々によってその村に住む貧困層に属する女性30〜40人の中から厳選された8人の女性がこの工房でキラキラペンを作っています。選ばれた女性たちは誇らしく、周囲の憧れとなっています。バングラディシュの女性達はとても真面目で手先が器用。さらに想像力に溢れていて、センスのいいデザインを積極的に提案してくるなど生まれながらのアーティストだと渡辺さんは話してくれました。

実は働く女性達は、社会や家族から抑圧され、ただただ耐えるしかなかった背景を抱えています。しかしこのペンの製作を通し、報酬を得、子育てをきちんとできるようになることで、みるみるうちに自信に溢れた表情に変わっていく…そして以前より笑顔でよく喋るようになったお母さんの変化が、直接子供達の笑顔にもつながっていきます。

強く生きる素敵な女性達によって作られたキラキラペン「ULKA」。みなさんにもきっと、笑顔をもたらしてくれることでしょう。そして、ポジティブな循環にあなたも加わってください。


さて、今晩もキラキラペンと出掛けて参ります♪

初めてのベルリン(2001年8月)

前回のベルリンつながりでベルリンの話。

常に変化している街ベルリンは私の好きな街の一つです。

初めてベルリンを訪れたのは2001年。まだヨーロッパの各国が異なる貨幣を使ってた頃です。

西ヨーロッパを周り、オーストリアハンガリーチェコポーランド→ベルリンへと電車で回りました。当時のポーランドはまだまだ共産圏の雰囲気が残っていて、特に首都ワルシャワは四角い灰色の建物がポツンポツンと建っているだけ。人も無表情。(現在は当時とはかなり違っているそうですが。)そんな所からベルリンに入った瞬間、人々は活気に満ち溢れ、様々な人種が行き交い、ヨーロッパにもこんなにエネルギッシュな街があるんだととても驚いたのを覚えています。

その時宿泊したのが60歳か70歳くらいの老夫婦が営む小さなペンション。毎朝、とても美味しい朝食を作ってくれて、これも食べろ、あれも食べろ、観光に出るときはハンカチ持ったか、車に気をつけろと、まるで自分のおばあちゃんの家に遊びにきたのかと思うほどよくしてくれました。

ある日、そのおばあちゃんが若い頃の写真を見せてくれたのです。その当時のことについて興味深い話をたくさんしてくれました。そのおばあちゃんが生まれた時から住んでいた家は今のポーランド領にあります。庭には綺麗な花がたくさん咲いていて、こじんまりとしたかわいい家でした。

しかし、ある日おばあちゃんの人生が大きく変わります。ドイツが戦争に負けた日、突然アメリカ兵達が家に入ってきて、1時間後におばあちゃん達はこの家を出なければいけなくなったそうです。とりあえず持てる物だけ持ち着の身着のまま家を出て以来、おばあちゃんは自分が生まれ育った家には戻っていないそうです…。

これは私が初めて家族以外の人から聞いた戦争体験でした。

もちろんベルリンには多くの素敵な場所やレストランもたくさんあります。一方でこんなお話や、銃弾の跡が残されている元教会、ユダヤ人慰霊碑、旧西ベルリンに逃れようとして射殺された方々のお墓などなど自分たちの歴史と嫌でも向き合わなければならない場所もがたくさん残されています。我々日本人も学ぶところが多い街だと思います。

15年以上たった今でも、たまにあのおばあちゃんの話を思い出します。

トレップアートパーク
トレップアートパーク(旧ソ連軍のお墓)

ホロコースト記念碑念
ホロコースト記念碑

ベルリンの壁を乗り越えようとして射殺された最後の方のお墓
ベルリンの壁を乗り越えようとして射殺された最後の方のお墓



「アトミック・ブロンド」

3週間の日本帰国兼出張を終え、インドに帰ってきました。成田からデリーまでの飛行時間は約10時間。行きよりも新作映画が多かったのでなんとか乗り越えられました!

今回は飛行機の中で見たシャーリーズ・セロン主演のスパイアクション映画「アトミック・ブロンド」についてお話します。シャーリーズ・セロンは私の大好きな国、南アフリカ出身の女優さん。さらに舞台は1898年のこちらも私の好きな街ベルリン。

 「アトミック・ブロンド」by 日本語予告版
アトミック・ブロンド」by 日本語予告版より

とにかくシャーリーズ・セロンの生い立ちがとても興味深いのです。

彼女の父親はDVで母親によく暴力を振るっていたそうです。彼女が16歳の頃、酒に酔って帰ってきた父親に暴力を振るわれた母親が危険を感じ射殺してしまいます。その第一目撃者がその場にいた16歳のシャーリーズ・サロンでした。結果的には正当防衛と認められます。しかしこの事件で母娘とも有名になってしまい、二人は南アフリカを逃れイタリア、アメリカと移り住みます。その間あるシャーリーズ・セロンがモデルの仕事をしながら生活費など稼いでいました。ある日、英語がまだよく話せなかったシャリーズ・セロン(彼女の母国語はアフリカーンス語)がロスアンジェルスの銀行で銀行員と言い合いになっていた時、たまたまそこに居合わせた有名なモデルスカウトがとても綺麗な女性が銀行員にFXXXを連発しているのを目撃したのだそうです。そしてその場で彼女をモデルとしてスカウトし、今に至ります。

この映画の中では、筋肉モリモリでもない美しいシャーリーズ・セロンが超大柄の旧ソ連旧東ドイツの男性50人以上を次々と倒していきます。

「アトミック・ブロンド」by FASSHON PRESS
アトミック・ブロンド」by FASSHON PRESSより

蹴りの連発、素手で連続パンチ、鍵を顔に突き指したりなど、とにかく強くてかっこいい。彼女は映画撮影前に本格的に格闘技のトレーニングをし、全てスタントなしで自分で闘ったそうです。単なるアクション映画だけでなく、ベルリンの壁が崩壊する直前の世界中が緊張していた時のストーリーも描かれており、さらに懐かしい音楽も一緒に楽しめる映画です。

ということであっと今に無事にデリーに着きました。気温は約15度。日本から来るととてもあたたく感じます。