ひとったび -人と旅と物語-

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戦争中のことについて両親に語ってもらいました!

明日は、8月15日。

 

戦争中、私の両親はまだ小さな子供でした。戦争中のことについて覚えていることを話してもらいました。

 

父は1935年生まれ。母は1940年生まれ。以下はその時のインタビューの内容です。

 

父:1935年埼玉県さいたま区生まれ

 太平洋戦争の最後の年は、俺は小学生で。

 

3月に運動会があってね、200メートルのトラックが校庭にあったんだったんだけど、トラックの真ん中には兵隊さんのために米とか野菜とか育てて、トラックの向こう側を走る生徒は頭しか見えないんだよ。

 

2時か3時ごろだったかなあ、運動会中に空襲警報がなって。俺らは大丈夫だったんだけど、次の日の朝ごはんの時に、東京ですごい空襲があったって親父が言ってたな。

 

その頃、俺らの家は部屋を貸してたんだよ。空襲で家が焼けちゃって逃げてきた人がたくさんいたからね。だから何人かに貸してたなあ。

 

東京に住んでた人はみんな食べ物がなかったから、着物とか家具を大宮とか田舎に持ってきて米とか野菜と交換してた。特に米ね。大宮駅はそう人でごった返しててさ。

 

駅には荷物検査をする軍の警察が来るんだよ。その頃、米は配給でしかもらえないことになってたから、米を持ってのが見つかると、軍の警察に取り上げられて、罰金を払わされるんだよね。

 

駅に警察がくるってわかると、みんな罰金なんか払いたくないし、米を取り上げられるなんてバカらしいから、みんな急いで米を電車の窓から線路に投げ捨てているのを何回も見たことがあるよ。

 

あとは…学校でウサギとか、鶏とかいろんな動物を飼育してたんだけど、なんせ人間でさえ食べ物がないんだから、動物にあげる食べ物もないんだよな。

 

ある時さ、学校の校庭に生えてた草を採って先生のところに持って行ったらさ、それは草じゃなくて兵隊さんのために育ててた稲だったんだよ。だから先生にものすごく叱られたんだ。「稲だってわからなかったです。草だと思ったんです。」って言ったんだけど、先生は「校庭で稲を育ててるはみんな知ってるだろ。なんで草と稲の区別がつかないんだ、お前は!」ってまた怒られてさ。

わからなかったというのはただの言い訳。だってその頃には校庭に草一本も生えてなかったんだからさ…。

 

戦後すぐ、たくさんのアメリカ兵が日本にきて、家の近所でもたくさんみかけてさ。誰も外人なんて見たことなかったら、物珍しくてね。

 

ジープとかトラックを運転してて、ガムとかチョコレートとか、投げるんだよ。そうするとさ、俺らは走ってそれを拾って…そういうのを見て、アメリカ兵たちは笑ってて、でも俺らはもう腹が減ってたからさ。

チューインガムを拾うと、アメリカ兵達みたいにチューインガムを噛む真似をしてさ。

 

そのうち、いつどこにアメリカ兵が現れるか分かるようになって、今度は通りで待つようになったんだよ。

 

アメリカ兵たちがチョコレートとかキャンディーとかいろんな食べ物を投げると、俺らは走って行ってがんばってたくさん拾ってね。で、次の日何をいくつ拾ったか友達と競い合ったりしてね。今まで食べてたのより、ずっと美味しいから大事に大事に食べたなあ。

 

母:1940年東京北区生まれ

(*おじいちゃんとは、私から見た時のおじいちゃん。母のお父さんのことです。また母がお父さんと言っているのも、母のお父さんのことです。)

 

戦争中は、2歳から4歳ぐらいのときだったから戦争のことはあまり覚えてないけど…お父さんとお母さんにとっては大変だったと思うよ。

 

一番覚えているのはね、茨城に住んでいたおじちゃん、おばちゃんの家に疎開した時のことかな。あれは確か3歳だったかなあ。その頃から、東京じゃ、空襲が激しくなってきて危険だったのね。

 

いとことは毎日遊べて楽しかったけど、寂しかったなあ。だって初めてお父さん、お母さんと離れて暮らしたんだから。

 

時々、おじいちゃんが会いに来てくれてね。一緒に散歩したり、折り紙とかおはじきとかして遊んでくれたの。

 

これは戦争が終わった後、私が3年生の時かな、おじいちゃんに聞いた話なんだけどね。おじいちゃんはお医者さんだったでしょ。国立がんセンターで働いていたんだけど、それが軍の病院になってね、毎日電車で通ってたんだって。でもいつアメリカ軍が電車とか病院に爆弾を落とすか心配だったって言ってた。それに、私の疎開先のそばには海軍の訓練場所があったから、そこにアメリカ軍が爆弾を落とすんじゃないかとか心配してたって。おじいちゃんは疎開先に来るたびに、これが私と会えるのが最後かもしれないって思ってたって。

 

そうね、小さかったからあまり戦争の時の記憶はないけど、きっと両親は毎日毎日心配だっただろうなあ。

 

両親の話を聞いて

両親の子供の頃の話を聞いて思ったことは、当たり前だけど、父も母も子供の頃があったんだ…とちょっと驚きました。

 

この戦争のせいで世界中で多くの人が亡くなったにも関わらず、両親が生き残ってくれたおかげで、私が存在できているという奇跡に身が引き締まる思いもしました。

 

さらに、父が小学生の時に初めて出会ったアメリカ軍の話を聞いて、アメリカ人である私の夫を快く迎えてくれて、夫が家を訪れるたびに楽しく一緒にビールを美味しそうに飲んでいる父の姿を見ると、なんかこの人すごいなと思ったりもします。

 

両親に子供の頃の戦争体験を聞くきっかけ

このような機会を与えてくれたのは、実は夫のお父さん、義理の父でした。

 

義理の父は私の母と同じ年、1940年にアメリカで生まれました。

 

ほとんどの戦争の話は大人達によるものだったため、その頃の子供たちはどのように過ごしていたのかと思い、義理の父は友人達にインタビューをしていたのです。その流れで、私の両親の話も聞いてみたいというのがきっかけでした。

 

両親には日本語でインタビューをし、それを英語にしてメールで送ったところ「なんか…もう涙が止まらなかったよ」という感想をいただきました。

 

アメリカ人と日本人が普通に結婚できること。その家族同士が笑顔で「乾杯!」ができること。お互いの戦争体験を共有し、涙すること…75年前にはこんな関係を持つことはあり得なかった。これが「平和」ということなのでしょう。ありがたいことです。

 

 

Helsinki Fashion Week 2019(ヘルシンキファッションウェイーク)− 100%サステイナブルファッション

  • Wife Carrying World Championships (妻背負い大会)

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  • World Cell Phone Throwing Championships(携帯電話投げ大会:チャンピオンは新しい携帯電話がもらえるらしい)
  • Mosquito Swatting Championships(蚊取り世界大会—ハエ叩きのような物を使って5分間で何匹の蚊を殺せるかを競う大会らしい)
  • Air Guitar World Championships(エアーギター世界大会)

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このような大会を開催しているおもしろい国があります。どの国だかわかりますか? 

答えは…フィンランド

 

日本ではノルウェースウェーデンデンマークフィンランドの国々を「北欧」と一括りにしてしまう傾向がありますが、(少なくとも)私の中では、特にフィンランド人はとても寡黙。特に話すことがなければ沈黙も恐れない。それでいて話してみるとユニークな発想をする国民が多い、面白い国というイメージです。

 

Helskink Fashion Week 2019

そんなフィンランドヘルシンキで7月19日から22日まで「ヘルシンキファッションウィーク(HFW)2019」が開催されました。

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テーマは「100%サステイナブルファッション」。

 

参加したデザイナーはフィンランド国内に限らず、アジア、中東、ヨーロッパ、アフリカ、南米と国際色豊か。

 

ファッション業界に革命を起こそうとしている、特に小ブランドの新しいデザイナー達が、他企業、科学者、政治団体などとパートナーを組むことで、環境に優しい素材の開発、リユースやアップサイクルの技術開発、そして労働環境における透明性(トランスペアレンシー)の促進などができるような機会をもてるようにというのが主催者側の目的です。

 

例えば、今回注目されたのがA.BCH (オーストラリアのメルボルン)。

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A.BCHは生物分解、再利用が可能な素材を使っています。また、「リサイクルプログラム」というのを行なっており、着なくなったA.BCHの服を簡単な手続きをするだけで送り返すことができ、その度に$10のクーポンがもらうことができます。戻ってきた服は次の商品の一部として使われたり、補正をして再度販売し、その利益をファッション革命団体に寄付したりしています。

 

ヘルシンキファッションウィーク中に行われたトークパネルでは「気候変動や環境、工場で働く待遇改善のために、わたしたには何ができるのか」というテーマで多くの人が真剣に話し合われたそうです。

 

さらにさらにファッションウィークのHPを見ると入場者に年齢制限がないのです。ですからもちろん子供も入場可(10歳以下は無料)。将来賢い消費者やデザイナーを育てるのに、このようなユニークなファッションウィークの雰囲気、サステイナブルファッションやその概念に触れられるとてもいい機会なのではないでしょうか。

 

世界中で様々なファンションウィークが開かれていますが、こういう明確なテーマを持ったユニークなファッションウィークは今の所ヘルシンキだけではないでしょうか。

 

ただ、これは年に一回開かれるヘルシンキファッションウィークだけでないのです。

 

Lovia(ロビア)

PhiotradeのビジネスパートナーであるLovia(ヘルシンキを拠点)でも大手家具店が出す余革、鮭の革、リサイクル素材などを原料としてファッショナブルなバッグやアクセサリーを作っているブランドです。       

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      (レザーソファーの余革で作られたショルダーバッグ)

 

例えば、あなたが購入したLoviaの商品一つ一つにナンバリングがされており、それによって素材は何か、誰が作ったのかなどすべての情報をトラッキングができるシステムになっています。 

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   (鮭の皮で作られたポーチ:魚の匂いはしませんのでご安心を)

 

LoviaのHPの“ABOUT-Roots”のページを開くと、まず目に飛び込んでくるのが

 

   “A BAG CAN’T CHANGE THE WORLD. BUT YOU CAN.”

  (バッグは世界を変えられません。変えられるのはあなたです。)

 

短い文章ですが、とても力強いメッセージです。

 

私たちにできることは何か

どこの国が生産したから安心、いい製品だという前に、商品を手に取った時、

-環境に配慮しているか 

-誰が作っているのか

-正しい情報を消費者に共有しているかどうか

をちょっと考える時間を持つようにすることだと思います。

 

そんな時間はないし、ファストファッションが好き!という方ももちろんいるでしょう。

 

しかし、上記に記したことを少しずつでも行動する消費者が増えれば増えるほど、ファストファッションの企業も重い腰を上げなければならなくなる時代がきっとくると思います。

 

世界を変えることができるのは物でなく、企業だけでもなく、まずは「私たち」なんです。

 

参考サイト:

 

「チェルノブイリ(原題)/Chernobyl」−第4話〜第5話裏話

ここでは「チェルノブイリ(原題)/Chernobyl」のミニシリーズ第4話から第5話について述べていきます。元になっているのは脚本家のクレイグ・メイジンとNPRのピーター・スコットのトークです。

 

第4話

  • 一番印象に残っているシーン

牛舎で乳搾りをしている老婆に若い兵士は今すぐに避難することを促します。しかしこの老婆は断固として避難することを拒否します。

 

兵士:「村中の住民が避難しているんだ。ここは安全じゃない。空気中に放射能

   蔓延しているんだ。」

老婆:「私は生まれてからずっとこの土地で、この家でずっと過ごしてきたんだよ。…

   82歳になる私に「安全」なんて関係ないよ。」

兵士:「住民を避難させることが私の仕事なんだ。問題を起こさないでくれ。」

老婆:「問題?…私が12歳の時、ロシア革命が起こった。あんたみたいな兵士が来て、

   立退けと言いに来た。私は断った。次はスターリン、そして大飢饉、ホロドモー

。両親、2人の兄弟も死んだ。私たち残った家族に対し、立退けといった。私

   は断った。そして第二次世界大戦…ドイツ兵、ソ連兵、たくさんの兵隊たちがこ

   こを通っていった。戦場にいった兄弟は戻ってこなかった。でも、私はずっとこ

   こに住み続けた。多くのことを見てきたんだよ。だから見えない敵から逃げるた

   めに、ここを立ち退かなければいけないってどういう意味なんだ。私はいやだ 

   ね。」

 

老婆が(放射能に汚染されて飲めない)乳を絞りつづけていると、兵士はその乳が入っているバケツを取り上げ全部捨ててします。しかし老婆はまたその乳搾りを始めます。

 

老婆の後ろで兵士が銃を構えます。きっとこの老婆を銃で撃ち殺すに違いない…と思ったのですが、撃ち殺されたのは牛でした。

 

ソビエトではどんな立場にあってもどんな人でも、第二次世界大戦の経験を話す老人には敬意を払うという文化が非常に根強く残っていたそうです。だからこの場面で若い兵士は老婆を銃で撃つことはあり得なかったと脚本家は言っていました。この老婆は避難しました。

 

ちなみに銃で撃たれた牛は本物ではなく、作り物のスタントの牛だそうです。

 

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                wikipediaより

 

ウクライナの気候は温暖で、16世紀以来「ヨーロッパの穀倉」地帯と呼ばれてきました。

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                                    worldatlas.comより

 

地理的には西に東ヨーロッパ、南には黒海があり陸続きでトルコなどアジアへとつながる場所に位置しています。そして東にはロシアが。このため様々な民族が到来し、通過していきました。ナポレオンやヒットラーがロシアへ侵攻する際、まず通過するのがウクライナなのです。その度に多くの人々が避難を強いられてきたという歴史があります。

 

老婆が言っていたポロドモールとは、1930年代にスターリンウクライナ人に対し、計画的に行ったといわれている人工的大飢饉のことです。ホロコーストポル・ポト派による虐殺、ルワンダ虐殺等と並んで20世紀の最大の悲劇の一つだともいわれています。

 

家畜や肥沃な農地を持つウクライナ人たちは、政府によって農業集団化への協力を余儀なくされます。収穫に課せられた収穫高が困難な上に、外貨獲得のために収穫された食物のほとんどは輸入に回され続けたため(飢餓輸出)、政府の政策に反対する農民たちは強制移住させられました。それによって生産量が減少、深刻な食糧不足から大飢饉が起こり、400万人から1450万人が死亡したといわれています。

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     ポロドモールによる飢死者とされる写真 File:Famine Kharkov 1933.jpg

                                                        wikipediaより

 

このような辛い歴史の中を生きてきたこの老婆が自分が生まれ育った場所からの退去を拒否するシーンは老婆の力強さ、威厳、家を離れなければならなくないことへの悲しさ、辛さが伝わってくる素晴らしいシーンだと思います。

 

5話

1986年4月26日に何が起こっていたのか、どうして起こってしまったのかが明らかにされていきます。このエピソードではウィーンで行われたIAEA会議の内容はあまり述べられていません。

 

チェルノブイリ原子力事故を隠蔽できなくなった旧ソ連政府は世界に向けて事故について説明をするためにウィーンを訪れます。その時の代表者が「チェルノブイリ」の主人公である原子物理学者ヴァレリー・レガソフでした。会議開催中、レガソフが西側に逃亡しないように、政府によって非常に厳しく監視されていたそうです。

 

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                                          vanityfair.comより

 

1986年8月にオーストリア、ウィーンのIAEA本部でチェルノブイリ事故専門会議が開かれました。

 

当時の旧ソビエト連邦の国民が西側の国を訪れることが非常に珍しかったことや、西側諸国の誰もが旧ソ連の科学者のスピーチを聞いたことがなかったため、この会議は歴史的な会議であったといっても過言ではありません。それに加え、原子物理学者ヴァレリー・レガソフは5時間もかけて事故に関する多くの事実を認めた上で、非常に丁寧にチェルノブイリの事故について説明しました。

ソビエト連邦原発原子炉の設計にミスがあったこと、それを国が隠していたこと以外は…。

 

これによって、レガソフの原発事故報告は西側の誰もが旧ソビエト連邦の科学者を信じるに値すると評価され、その後取り上げられてしまいますが、KGBからも「英雄」の称号が与えられました。

 

この裁判は原発事故を起こしたチェルノブイル原子力発電所4号炉から20キロ離れた文化センターで行われました。実際の裁判にはレガソフは出廷していません。大事故についての説明も他の人が行い、しかも何週間にもかけて行われた、はっきりいってつまらない裁判だったそうです。

 

脚本家のクレイグ・メイジンは、この裁判のシーンでレガソフ自身にあの夜、一体何が起こったのかを説明させることでドラマのクライマックスを迎えたかったのだそうです。ちなみにレガソフが行った説明は全て事実です。

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                                                        THE IRISH TIMESより
 

クレイグ・メイジンはインタビューの最後にメッセージを残しています。

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                                                  Los Angeles Timesより

 

人間は生きていく上で何らかの嘘をつかなければならない時があります。しかし、真実を消滅するためにつかれた「明らかな嘘」に対しては、真っ向から戦う勇気をもたなければならなりません。この「チェルノブイリ(原題)/Chernobyl」のストーリーを私の人生の後でも先でもなく“今”このように語ることは“現代の社会”に大きな意義があるはずだと信じています。

 

データの改ざん、フェイクニュース、記録や記憶があるのに無いと言ったり、捨ててしまったり…。慣れてしまってはいけないことです。心に響く重いメッセージです。

 

参考サイト:

 

「チェルノブイリ(原題)/Chernobyl」−第1話〜第3話裏話

ここでは「チェルノブイリ(原題)/Chernobyl」のミニシリーズ第1話から第3話について述べていきます。元になっているのは脚本家のクレイグ・メイジンとNPRのピーター・スコットのトークです。

 

第一話

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                  wikipediaより

プリピャチという街はチェルノブイリ原子力発電所で働く従業員、その家族が住む街でした。市民の平均年齢は26歳!政府の手厚いサポートがあり理想の街でした。

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          エレベーター付きの高層マンション(wikipediaより)

 

公園や緑が多く、当時では珍しく屋内プールもありました。

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      事故後放置されたままの屋内プール (wikipediaより)

 

また他の街や村と違って、スーパーの棚にはきちんと商品が並び、物を買うのに長い列を作る必要もありませんでした。

原発事故が起こった次の日はとてもいい天気だったそうです。しかし、放射能が飛び交う中を、事故について知らされていない市民たちは、いつものように公園を散歩し、子供たちは学校へ行き、結婚式も行われていたそうです。また、ベランダで日光浴を楽しむ人もいたとか…。実際に撮影に使われた街は旧ソ連であったリトアニアの街で、当時に建てられた建物を使いました。

 

  • 1980年代の旧ソ連の人々の生活、ファッションなどを忠実に再現

当時旧ソ連で使われていた、靴の紐一本からホテルの装飾までを再現することに多くの力を注いだそうです。

第一話の最初の方に、主人公のヴァレリー・レガソフがペットの猫に餌をやるシーンがあります。当初は缶詰のキャットフードから餌を出すというシーンだったのですが、当時の生活を知る人によると、その頃旧ソ連にはペットフードなど存在しなかったそうです。エピソードでは餌はすでに皿にのった状態で出されています。

 

チェルノブイリ原子力発電所には全部で4機の発電所がありました。4号炉が大事故を起こした時、なんとその他の原発は運転を続けていたそうです。理由は旧ソビエト連合の3番目の大都市であるキエフに電気を送り続けなければ人々の生活から経済が破綻してしまう危険性があったからだそうです。2号炉は1991年、1号炉は1996年、そして3号炉は2000年に閉鎖されました。すべて原子炉が完全に解体されるのは2046年から2064年までの間とされています。

 

 第二話

  • 人口5万人ものプリピチャの住人達はどこへ避難したのか

4月27日午後2時、事故から36時間後、約1200台ものバスがキエフからプリピャチにやってきます。

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                   hbo.comより

 

住人達は2、3日で戻ってこられると言われました。持っていくことが許可されたのはスーツケース一つのみでした。しかし、結局住民達はプリピャチには戻ることはできませんでした。何人かの避難民の証言によるとキエフの近くにある冬用のスパリゾートのようなところに一旦避難し、その後、政府が近くに新たに建設した村に移りすんだそうです。そのため、避難者達があちらこちらに散らずにすみました。

 

5月1日は春と労働の祝日、メーデーのパレードが行われる旧ソビエト連邦、現在のロシアで重要な祝日の一つです。1986年ゴルバチョフは毎年行われるこのパレードを中止しませんでした。チェルノブイリから近いキエフミンスクでも官僚も含め子供達によるパレードが行われたそうです。その時はすでに世界中でチェルノブイリの事故が知られており、旧西ドイツでは子供を外で遊ばせることが禁じられていたにも関わらず…。

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                        1986年5月1日メーデーパレード in キエフ(TIME.comより)

 

第3話

  • 実際に存在する人物

消防士と消防士の妻は実際に存在する人物です。

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                                              hbo.comより

 

妻がモスクワの病院を訪れた時、夫の病室を教えてくれた医者がこう聞きます。「あなた妊娠してないでしょ?」と。

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                         express.co.ukより

 

彼女にインタビューをした脚本家のクレイグ曰く、実際に行われた会話は次のようだったと言います。

 

医者:「あなた子供いる?」

妻:「ええ、2人いるわ。」

彼女は嘘をついたのです。

いないと答えれば、放射能を大量に浴びた夫に会うことで一生妊娠できない体になると言われるし、妊娠しているといえば胎児に影響を与えることになり、結局夫に会うことができなくなります。子供が2人いると答えておけば、それ以上子供を産むこともないと思うだろうと考えたため、こう答えたと言っています。

 

当時放射能についての正しい知識を持つ人が少なかったこともありますが、被曝をして苦しんでいる夫を一人で残しておけない、死が近づいている夫と1秒でも長く一緒にいたいという妻の態度は、この番組の中で唯一「愛」が感じられるシーンです。

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参考サイト:

世界最悪の原発事故「チェルノブイリ(原題)/Chernobyl」〜怖いですが、最後まで見てください!

高校時代のある日の「倫理」の授業で、教室に入ってきた先生がいきなりチェルノブイリの事故について語り始めました。爆発事故によって広範囲に撒き散らされた放射能は何百年、何千年も消滅しないこと。授業の前に東京電力に問い合わせ、日本の原子力の安全対策などについていろいろ質問したが、「我々の原発は安全だ」と言い張るだけで満足する回答が得られなかったこと。その時は、なぜこの先生はこんなに興奮しているのだろうと不思議に思ったことを今でも覚えています。

 

1986年4月26日、原発で働く従業員たちが住んでいた街、旧ソビエト連邦のプリピャチ(現ウクライナ)という村で午前1時23分45秒チェルノブイル原子力発電所4号炉の世界最悪の原子力発電所事故が起こりました。

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                hbo.comより

 

HBOで5月から放映されていた「チェルノブイリ(原題)/Chernobyl」は、この大事故を元に作られたドキュメンタリーミニドラマシリーズ(全5話)です。なぜあの大事故が起こってしまったのか、当時の国家体制と事故への対応、その後の状況などが、詳細に描かれています。

           youtu.be

 

監督は「ブレイキング・バッド」や「ウォーキング・デッド」のヨハン・レンク。主人公の旧ソ連原子物理学者ヴァレリー・レガソフを演じたのはジャレッド・ハリス(「マッドマン」「ザ・クラウン」などに出演)。

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                                             ruin my week より

 

この原子物理学者と共に奮闘するのが当時の旧ソ連副首相役のステラン・スカルスガルドです(「グッドウィル・ハンティング」「パイレーツオブカリビアン」「アベンジャー」などに出演)と豪華メンバーです。

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                 ruin my week より

 

第3話まで放映された時点で、アメリカのIMDb(The Internet Movie Data Base )ではテレビ番組史上最高評価で歴代第1位を記録しました。

 

大事故の事実を知るよしもない子供や大人たちが外に出て、まっすぐに天に向かって伸びる青く輝く光(爆発)を「綺麗だね」と眺めながら「死の灰」を浴びる姿がなんとも切ない…。

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                                                             bbc.comより

 

この大事故による莫大な損害が旧ソビエト連邦の崩壊を招いた大きな原因の一つだとも言われています。(1991年旧ソビエト連邦崩壊)

 

部下を脅すことで自分の指示通りに動かそうとする上司。そんな上司の間違いを「間違いだ」と言い返せず、仕方なくその指示に従ってしまう部下。

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                  hbo.comより

 

自分の出世と権力への固持や国の面目を守らなければならないというプレッシャーから生まれる嘘が国家や国民を壊して行く姿は、当時の旧ソビエト連邦だけでなく、現在のどこの国でも、組織でも起こりうることだけに、背筋がぞーっと凍りつきます。

 

バックに流れる静かな不協和音、危険を知らせるセンサーやガンガーカウンタの音がさらに不安と緊張を掻き立てます。

 

チェルノブイリ」の脚本家クレイグ・メイジンは「嘘から起こる多大なる犠牲」が大きなテーマだと述べています。

 

ある事実を隠すために人々が「嘘」をつくことを選択する時、そして人々がその嘘を信じることを選択する時、嘘をつき通そうとする陰謀が蔓延する。当分は平穏にすむが、最後にその嘘によって人々は大きな犠牲を追うはめになる。しかしその犠牲を追うのは嘘をついた本人(達)ではなく、多くの無実な人々なのだ。

 

ということを伝えたかったと述べています。

 

多くの人々が2011年に起こった福島第一の大事故を目撃しました。原発に賛成か反対かは別として、あの時あの内部で何が起こっていたのかという事実はまだ明確にされていません。この「チェルノブイリ」のミニシリーズのように、その事実が描かれるまで30年以上かかるのでしょうか? 

 

日本では2019年秋にスターチャンネルで放送配信されるそうです。

 

次回は脚本家のクレイグ・メイジンとNPRのピーター・スコットのトークから、「チェルノブイリ(原題)/ Chernobyl」の各エピソードの裏話やそれを元に旧ソ連について学んだ興味深い事実について書いていきます。ネタバレもあります。

 

参考サイト:

 

面白いインドの選挙事情 - インドの下院選挙2019で学んだこと

5月23日(木)、2019年インド総選挙の結果が発表され、現職のナレンドラ・モディ首相が率いるインド人民党(BJP)の圧勝でした。

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インドの下院総選挙は5年ごとに行われます。選挙権が与えられるのは18歳からで、今年初めて選挙をする人は約8400万人。そして今回の有権者数はなんと9億人と言われています。(ちなみに2017年のデータによると、EU加盟国28カ国の総人口は約5億人。)選挙委員会によると2019年総選挙の投票率は67.1%と最高の投票率だったそうです。

 

今回はインドの選挙は日本とは異なることが多いため、2019年インドの総選挙について書きたいと思います。

 

インドの長い投票期間

2019年3月10日、選挙管理委員会によって選挙日のスケジュールが発表されました。投票日は選挙区毎に7つのグループに分けられ、4月11日〜5月19日の6週間の間にグループ1から順次に実施されます。

 

例えば、ムンバイはグループ4なので、ムンバイの選挙権を持つ有権者達は4月29日(月)に投票します。またデリーはグループ6に所属しているため、5月12日(日)が投票日となります。

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             timenownews.comより

 

投票したという印

投票をし終わると、その証明として(基本的には)左手の人差指の爪の部分に消えないインクがつけらます。一人の人が何回も不正に投票することを防ぐためだそうです。

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               yourstory.comより

1962年以来、インドの企業Mysore Paints & Varnishが極秘の化学処方で製造しているそうです。通常新しい爪が伸びるまで、石鹸で洗っても何をしても落ちないインクですが、健康に害は一切ないとのことです。が!今回の選挙では、除光液で落ちちゃったわ!」というTwitterがあいつぎました。  

    

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Dry Day…

インドではDry Dayという日が年間に約25日前後あります。Dry Dayとは酒屋、レストラン、ホテルなど公共な場所でのお酒の販売が出来ない日をいいます。

 

たいてい、宗教の神様の誕生日、例えば、シバ神の誕生日(3月4日)、マハトマ・ガンジーの誕生日(10月2日)クリスマス(12月25日)などがDry Dayとなります。

 

これを知らないと、レストランに行ってもビール、ワインが注文できず、がっかりすることになりますのでご注意を。

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今年は通常のDry Dayに加え、投票日の投票終了時間(午後6時)の48時間前から投票終了時間まで、そして開票日(5月23日)の24時間がDry Dayでした。

 

例えば、デリーは5月12日(日)ですから、10日午後6時ごろから12日の午後6時ごろまでお酒の販売が禁止でした。

 

インド人曰く、選挙期間は政治に関しての議論が激しくなるため、お酒を飲んでいると、殴り合いになるかもしれないからとのことです。

 

選挙結果への反応

多くのヒンドゥー教徒やビジネスを行なっている人々はモディ首相、インド人民党の勝利をとても喜んでいます。インド人民党の勝利が確立した瞬間、インドの株価が最高値に達しました。また中級階級、富裕階級が大きな買い物をし始めたというニュースも聞きました。

 

その反面、今回の選挙結果に恐怖と不安を抱いている人々も少なくありません。

 

第一に、現職のモディ首相が率いるインド人民党ヒンドゥーナショナリズムの色が濃い政党だと言われています。そのため、少数派である特にイスラム教徒たちにとっては現政党、社会に対して大きな不安を抱いているという声を聞きます。

 

第二に、失業率の増加と特に若者が仕事につけないということです。State of Working Indiaのまとめた資料によると、インドには約2300万人の失業者がおり、そのうちの1/3が高学歴の若者達だそうです。今回の選挙運動中、この問題について十分な対策が聞かれなかったという若者達からの不満も出ていました。

 

どの国にも大きな課題があるものですが、兎にも角にもこんなに人口が多く、土地によって全く言語も文化も宗教も違い、若いエネルギーに満ち溢れる国を取りまとめようとしているインド政府の力のすごさを改めて感じさせられました。

 

今回インド人民党が勝利宣言をするとすぐに、隣国のパキスタンのカーン首相はモディ首相にTwitterで次のような温かいメッセージを送っています。

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「モディ首相、おめでとう。南アジアの発展、平和、繁栄のために共に努力し、働いていくことを楽しみにしているよ」

 

記憶に新しい方も多いと思いますが、インドとパキスタンが領有権を争うカシミール地方で、今年に入ってすでに何回も衝突しています。その中でのこの祝福のメッセージ!

 

このカーン首相の祝福のメッセージに対しても、モディ首相はお礼と「我々の地域の平和と発展は一番の重要事項です。」という返信をしています。

 

普段は敵対同士の間柄でも、大事な時に、このようなやりとりができるインドとパキスタンの首相同士の関係にも大人だなと思いました。

 

というわけで、今回6週間ほどの間に、かなり面白く学ぶことが多いインドの選挙でした。

 

参考サイト:

 

 

インド英語 〜インド人が使う面白い英語表現〜

インド人の外国語習得の能力には非常に驚かされます。

 

デリーでは、ほとんどの人はヒンディー語、英語の2言語、またデリー以外の州出身人達はこの2言語+自分の出身地の言語の3言語を話すことができます。

 

インドの憲法にはデリー、その周辺で話されているヒンディー語(インドで一番話されている言語)、ベンガル語(インド北東部ベンガルコルカタ辺り)など22の言語が公用語であると定められています。また政府関係ではヒンディー語または英語が使われています。

 

私自身、ヒンディー語を少しかじりましたが、やはりインドで英語が通じるのはとても便利だとつくづく感じます。

 

インドの方と英語で話していると、今の表現は一体どう意味?とか、面白い!という表現に出会うことが多々あって、それだけでも楽しい!

 

インドに住んで約1年半、この辺でインド英語について考えてみようと思い、今回はよく聞く(私にとって)面白いインド英語についてご紹介します。

 

  • What is your good name?

「グッドネーム…?」と考え込こまないでください。

これは「あなたのお名前は?」という意味です。ヒンディー語の”Aapka shubh (good) naam?”をそのまま英語に用いたため、上のような表現が使われているとか。

“What is your good name?” と聞かれたら、ご自分のフルネーム(名前、姓の順)を言えばオッケーです。

 

  • shift=「動く」、「移動する」、「引っ越す」の意味で使われます。

例えば、

1. レストランでの会話

(レストランのスタッフ):あと5分くらいで、あちらのテーブルが空きますから、それまでこちらのカウンターでお待ちください。テーブルが空いたら…

”I will shift you there."(あちらに移れますので。)

 

2. 引っ越しを考えているという友人との会話

(友人1):どうしたの、疲れてる?

(友人2):隣のアパートが工事中で、朝から夕方までずっとうるさくて、気が狂いそう。

”I am thinking to shift next month. (来月引っ越そうと思うの。)

このように、“to move”の代わりに”to shift”が使われます。

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  • geyser(ギザ):(水道やお風呂のための)湯沸かし器

最初「ギザ」と聞いた時、エジプトのギザのピラミッドがどうした?とチンプンカンプンでした。

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が、この単語よく聞きます。インドでは湯沸かし器のことを"geyser"とよびます。

 

デリーでは12月から3月までは"geyser"は欠かせませんが、日中40度以上続く現在ではこの"geyser"のスイッチをいれなくてもお湯が出てしまうので、電気代節約が多少節約できます!

 

ちなみにアメリカ英語では ”hot-water tank” 。”geyser”は「ガイザー」と発音し、「間欠泉」の意味になります。 

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  • profile : 仕事

日本語でも人物紹介という意味で使われる「プロフィール」。インド英語では「仕事」という意味で使っているようです。

 

例えば、

"Her profile is marketing. "(彼女の仕事はマーケティングです。)

"My profile is great!" ととは「私のプロフィールは最高です。」と言っているのではなく「私の仕事は最高ですよ。」と言っているので誤解しないように。

 

  • prepone=予定時間・予定日より早める

"postpone"「延期する」は皆さんご存知だと思います。"post-"の代わりに"pre-"という接頭語をつけ「予定日または予定時間より早く」という意味です。 "postpone" の反対語になります。なんて論理的でわかりやすく単語!と初めて聞いた時は感動しました。

 例えば、

"Can I prepone the tomorrow meeting to today?"  (明日の会議だけど、今日にしてもらえるかな?)

"The publication date has been preponed from July to June." (出版日は7月から6月に早まった。)

オックスフォード英語辞典に"prepone"が「インド英語」として掲載されています。

 https://en.oxforddictionaries.com/definition/prepone

 

  • expire:亡くなる、死ぬ

例えば、

"One of my friends expired last night…. "(昨日の晩、友達が亡くなりました。)

人の死に対して、"expire"という語を聞くたびに、「物」じゃないんだから!と思っていたのですけど、オックスフォード英語辞典の"expire"には「人が死ぬこと」という意味でも掲載されていました。イギリス英語でも使われるのでしょうか?

https://en.oxforddictionaries.com/definition/expire

 

  • Many returns of the day またはMany happy returns

インド人は"Happy Birthday" という代わりにこの表現をよく使います。

うまく日本語に訳せませんが「これからもあなたの誕生日(the day)が幸せと共に何回も何回も訪れますように。」といった感じでしょうか。

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心のこもったお祝いの言葉だなあと感じたので、同じ表現をアメリカの方にいってみたことがあります。そしたら「それってどういう意味?」と聞き返されました…。

 

  • only

インド人と話しているとよく耳にする単語、“only”。

インド人曰く、「〜だけ」「唯一の〜」という意味の他に、(いや、それ以上に)強調したい時、または癖で使うとのことです。特に文章の最後によく使います。

 

例えば、

1)映画館で…

(客)"What time does this movie start? "(この映画は何時に始まりますか?)

(映画館のスタッフ)"It starts at 5:10 only."(5時10分です。)

2)電話での会話

  (友人1) Hello, it's me. Where are you now?  (もしもし、私。今どこ)

(友人2) I am at home only. (今、家)

 

また、領収書、小切手などには値段を書いた後必ず“only”をつけるみたいです。

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私がデリーで歯の矯正をしていた時、行きつけの歯医者の受付の人が毎回領収書に"Three thousand rupee only"と書くんです。私の頭の中では”only“は「〜だけ」という意味が強いため、この領収書が

「患者さん、あんたの矯正料はたったの3000rupeeやで。お得やろ〜。」

と言っているような感じがして、なんだか安くすんだような気分にさせらたものです。(3000ルピー=約4600円)

 

以上がインド英語でよく聞く表現です。

あくまでのこれは私の周辺のみでのせま〜いリサーチ結果のため、誤用があるかもしれませんが…。